努力は、感動の種まきだ!

「人は最高を涙で表現する。」

「先生、頑張ってくるけぇーね」受験をあくる日にひかえた生徒の皆さんが、受験直前にみんなこのような言葉を口にする。もちろん私は励ますのだが、私は、この物言いに実はちょっとした違和感を持っている。それはすなわち、本当に受験生が努力しなければならないのは、受験準備をする時期であるいうことだ。したがって、私は、先の子供たちの宣言に対して、たいていこう応える。「よし、しっかりと実力を出して来いよ。」

今年の夏、私は、何人かの古い卒業生と顔を合わせる機会を得た。懐かしいメンバーである。その中には自営業者として大成功を遂げている者、PTA活動でかなりの責任ある立場で活動をしている者、大手の会社に入って大きな仕事を手掛ける者、財務省で国の行政を支える者。彼らが口をそろえて言ってくれたのは、自分たちの努力のスタートは学習共同体での勉強だということ。もちろん、多分にお世辞もあるだろう。でも、私自身の人生を生きる上での指針としていること、それは「感動多き人生を生きていきたい」ということ。その生きざまと同じ生きざまを体感しながら、彼らも感動多い人生を生きているように見える。

私たちは、毎年子供たちと一緒に受験を経験し、子供たちが合格していく姿を見つめる。実は受験というのは受験当日までにほとんど終わっている。受験当日は、自分の勉強したことを発揮しに行くだけだ。受験準備の期間にどれだけ努力したかが勝負。そして、しっかりと努力した生徒たちが、合格の感動を手にする。でも、ここで大切なのは、たとえ合格しても、努力せずに合格した子供たちは感動できないということだ。一生懸命に努力した子供は、涙を流す。人は、「最高」を涙で表現するのだ。悔しいときも、悲しいときも、嬉しいときもそうだ。そして、感動したときも・・・。合格の感動に涙する、それは受験日が来るまでに一生懸命に努力した結果得られる涙なのだ。

そう、「努力は感動の種まきだ。」

卒業生たちは熱を込めて語ってくれた。「先生、卒業パーティーは、よう泣いたよねぇ」「先生方みんなと握手したときには、ほんまに感動したよ。」「10月ぐらいからは、よう勉強したね、いままでで一番勉強した時期かもしれん。」

今年も、もちろん講師一同も大いに努力して、受験生たちとともに「感動の種まき」を行っている。いよいよ受験期が近づく。「しっかり努力の時期」となる。

会長 河浜 一也